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感染者という表現がそもそも

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これは加賀市ホームページで公開されている加賀市内の感染状況をグラフ化したものです。
見事なまでの急こう配です。
このまま直ぐに平行線になったり下降線になったり・・・す る わ け が な い
まあ、これが公式に公にできる情報ということですね。

でも前々から引っかかってたんだけど、感染者という表現、やめた方がいいように思う。
だって、それって検査の結果が陽性だった人の数であって、陰性だった人は含まれていない。
『一回目の検査では陰性だったが症状が出たため再検査したら陽性だった』というフレーズはここ数か月で何度も聞いた。
つまり、陰性だったからといって100%感染していないとは言えないのである。
ウイルスに暴露した人が暴露直後に検査を受けても100%陰性になるらしい。
体内でウイルスがある程度増殖してからじゃないと検査は意味がないということだ。
だから間違いなく暴露していても早い時期に検査を受けて陰性となった人は、自分は感染していないと思い込んで行動してしまうだろう。
ところが実は感染していて、自覚症状のないまま様々な人と接触を重ねて、症状が出た時には追跡不可能なぐらいの暴露者が・・・・
というのが、どんどん増えている感染経路不明ってやつなんじゃないだろうか。
濃厚接触者をすぐに検査して陰陽の決着をつけるのをやめないと、グラフの勾配がとんでもないことになると思う。
本当に感染を封じ込めたいのであれば、濃厚接触者は検査ではなく隔離して2週間程度の経過観察をしつつ、数日おきに検査を重ね、終始異常が認められなければ正式に陰性者として通常生活に戻っていただくのがよろしいと思うが、現実問題、そんなことが可能なのだろうか・・・

恐らく、行政は、封じ込めを諦めているんだと思う(違ってたらゴメンナサイ)。
隔離して経過観察なんかすれば莫大な費用が嵩むし、隔離できる場所などそう簡単に確保できるわけがない。
新しい生活様式の導入を試みつつ、うまくいかないジレンマの中、やはり、向かうべきは新時代の幕開けなのだろう。
考えてみればウイズコロナというフレーズは、コロナと一緒にという意味で、それは「コロナを体内に取り入れよう」とも解釈できる。
医療機関の増強も無理、ベッド数の確保も限界が低い、だけどGoToはやめないし、緊急事態宣言も出てこない。

なーるほど、これはつまり、いよいよ集団免疫の獲得に本腰を入れてきたということになるのか。
すべての人が感染し、免疫を手に入れ生きのこった人たちで新しい世の中を築いていく。
重篤化や亡くなってしまう方は高齢者が多いのだから、財政難の行政からしたら、平均年齢が下がる可能性にも期待して・・・・
そこに悪意はないのだろう。
高齢社会と社会保障は少子化日本が抱える超難問なのだから、起死回生の好機と考えてしまう人がいても不思議じゃない。
目に見えないウイルスは防ぎようがないのだ。
感染して、自力で抗体を作り、免疫を手に入れ、この脅威が残る世界をノーマスクで闊歩する。
そういう未来を願うしかないのだろう。

ワクチンができればそれが低いリスクで実現できるのだろうけど、それはまだまだ先のことになりそうだ。
だからリスクはあるが結果が同じなら取り組む価値はある、ということなのか。

まだその覚悟はできていない私は、明日もマスクをして外出をする。
アルコールスプレーをポケットに忍ばし、帰宅すれば真っ先に手洗いをする。

今の陽性者=感染者という表現では、感染の可能性が大きい暴露者のほとんどをスルーしてしまうということを書きたいだけだったのだけど、妙に長くなってしまったな。
これが年寄りになったということなのかも。












by matta_no_komeya | 2020-08-22 00:28 | 自分ごと | Trackback | Comments(0)

日々の出来事や思う事、感じた事を書き連ねてゆく自分史的徒然Weblogであります。


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