2016年 12月 20日
サンタクロース

今度の日曜日はクリスマスでございます。
私は仏教徒なので宗教行事としてのクリスマスには関心はないのですが、日本に根付いている正体不明な大義名分としてのクリスマスとは無縁ではありません。
とりあえず季節モノとして、お絵描きを少々。
文化祭の大判プリントで一躍人気者になった(一部の方達に)曾良華音ちゃんにサンタの衣装を着せてみました。
サンタといえば赤い衣装が一般的で、白髭のお爺さんにトナカイが引くソリに乗って・・・というイメージが付いて回る。
これはこれで見事なまでの定番でして、よくぞここまで定着したものだと感服せずにはいられません。
ですが、当のサンタクロース曰く、
「私は老人ではないし、髭もはやしていない。ましてや赤白の衣装など目立って仕方ないし、そもそも12月24日の夜の間にしかプレゼントを運べないなんて、勘弁して欲しい」
とのことである。
なるほどごもっともで、まぁ衣装に関しては世間の人があのスタイルを信じてくれている分動きやすいから歓迎できるとも言っていた。
更に、煙突から進入し靴下の中にプレゼントを入れて気づかれずに去るというのは、煙突のある家屋が少ない日本では完全に絵空事となってしまう。
サンタはこうも言っていた
「最近は私を信じていない人が増えすぎた。これが何より痛い。私の所業は親の仕業だとか、おもちゃ屋さんの店員のコスプレだとか、あれだけ定番イメージを作っておきながら最終的には『そんな人いませーん』って落とすなんて、あんまりを通り越して酷いと思う」
全くもってごもっともなことである。
サンタクロースは実在する。
これを知っている人は案外少ない。
紅白の衣装を着ていないし、12月24日以外にも忙しく動き回っているので、そうと気づく人はいないそうだが、間違いなく存在する。
日本って国は、キリスト教などの異文化を取り入れる寛容性が異様に大らかであることが有名だけど、その文化がもつ本来の意味を無視して独自のイベントとしてしまうのだから、取り入れるというより利用すると言ったほうが正しいのかもしれない。
近年のハロウィンなんかはその典型で、バレンタインデー然りエイプリルフール然りであります。
うちの息子はサンタの恩恵をいろいろ受けた方だ。
いつだったかサトウキビをもらったことがあったのには笑ったが、ちゃんと発泡スチロールの箱に入っていたのだから、現代社会にうまく適応しているのは間違いない。
サンタクロースは実在する。
そのことに気づく人は少ない。
サンタ曰く、
「キリスト教の逸話に出てくる聖ニコラウスがサンタクロースの名前の語源らしいが、正直なところ私の名前はそれではないのだよ」
あはは、それでは定番のイメージを頼りに探すことは困難ですな!
「探すから見つからない。私の存在は見つけるのではなく気づくものなのだ」
今年もデパートのおもちゃ売り場は盛況だ。
コンビニや洋菓子店ではケーキの予約で忙しい。
クリスマスは子供がおもちゃを買ってもらえる日。
ホールケーキを家族で囲んで食べる日。
年中食べられるのにチキンがもてはやされる日。
ツリーを飾って賑やかにパーティーをする日。
恋人同士がイルミネーションに彩られた街でデートする日。
日本のクリスマスは、日頃つつましやかに生きている人たちへの開放感を与えたのだろう。
物欲を我慢し、食欲を我慢し、贅沢を我慢し、働いて夜遅くにならないと帰ってこないお父さん。
それがこの日ばかりは、我慢しなくていい。お父さんもプレゼントを買って早く帰ってくる。
そうして家族であることを喜んだのだろう。
そうして定着していったのだろう。
そうして考えると、日本文化の根底にあるのは、貧しさであり、耐え忍ぶ精神なんだなと思う。
飽食の時代は慢性的なデフレを招き、今も脱出できていない。
土地も資源もない国の民が、本当はどのように生きるべきなのか、今一度思い出す必要があるように思う。
モノが溢れ飢えることがなくなったのと引き換えに、心は冷えて狭くなったのではないだろうか。
定番の衣装に身を包んで、ひょいと現れた華音ちゃん。
彼女の大きな目には、現代社会はどのように見えているのだろう・・・

by matta_no_komeya
| 2016-12-20 00:17
| 自分ごと
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