2014年 06月 11日
心の傷
朝、目覚めがけに古い記憶が唐突に蘇った。
すごく嫌な記憶。
中学生時代、同級生からもらった年賀状。
あの当時はパソコンもなく、プリントごっこがちらほら普及していた程度の時代。
年賀状と言えば手書きが当たり前だった。
人付き合いが苦手なのは今も昔もあまり変わらない。
そんなだから、自分のポジションの把握がどうもうまくできない。
誰かの家に行って、わいわいと騒ぐなんて苦手で、川辺に立って、竿を握ってる方が楽しかったし、心が安いらいだ。
自分は、誰かから嫌われるようなことをしたのだろうか?
恨まれるようなことをしたのだろうか?
したのかもしれない。
いや、してるんだ。
誰かを傷つけたことはある。
冗談が行き過ぎて言葉で傷付け泣かしてしまったことがある。
どんなに謝っても、彼は口をきいてくれなかった。
時間が経って関係が回復したような時がきたけど、塞ぎようのない溝を感じて怖くなった。
また悪ふざけで善くない事をやっていた仲間と、ある日を境に付き合うのを辞めたこともある。
彼にしてみれば青天の霹靂だったことだろう。彼もまた傷つき、溝を挟んでしまったのだ。
ああ、こうして考えると、俺は、結構悪い奴だな。
色々恨まれても仕方ないのか・・・。
でも、あいつには何もしていない(はずだ)。
なのに、何の前触れもなく、こんな年賀状をよこした。

インパクトありすぎだろ。
表面は普通のお年玉付き年賀はがきだったと思う。
まあ、見事に元旦からいやーな気分にさせられました。
そいつとは日頃から特に交流はなく、好きでも嫌いでもなかったのですが、こんなもの送られては嫌いになります。
事の真意を確かめないまま1年が経って、またまた彼から年賀状が届きました。

これ、ネタじゃないですよ。
ものすごい禍々しい、まるで悪霊と対峙したかのような恐ろしい気分。
まあ、およそ普通の神経の人間のすることではないと思います。
それでも、これで私の心は傷ついた。
物凄く、傷ついた。
何か身に覚えがあって、その仕返しみたいなものだったらまだ喧嘩でもできるんだけど、日ごろ何の付き合いもない接点の乏しい奴からの書面での殺意。しかも年賀状ですから家族も見るわけで、その上での公然の殺意。
これはいったい何なのか?
冗談では済まされない。
47歳の今でも、思い出して脂汗をかく。
彼の家は湯の本町、彼自身は今はいないのだったかな?
まあ、いてもいなくてもどうでもいいんですけどね。
過ぎ去った過去は忘れそうになるけど、なかったことにはできない。
毎日の積み重ねの中で、汚点といえる失敗は今も絶えることがない。
生きると言うのは、難しく、苦しいものなのですね。
この記事を読んだら、気分が悪くなった、という人がいるかもしれません。
そんなときは箕輪先生のモノマネをして「がいるがおるがある」を10回言ってください。
すごく嫌な記憶。
中学生時代、同級生からもらった年賀状。
あの当時はパソコンもなく、プリントごっこがちらほら普及していた程度の時代。
年賀状と言えば手書きが当たり前だった。
人付き合いが苦手なのは今も昔もあまり変わらない。
そんなだから、自分のポジションの把握がどうもうまくできない。
誰かの家に行って、わいわいと騒ぐなんて苦手で、川辺に立って、竿を握ってる方が楽しかったし、心が安いらいだ。
自分は、誰かから嫌われるようなことをしたのだろうか?
恨まれるようなことをしたのだろうか?
したのかもしれない。
いや、してるんだ。
誰かを傷つけたことはある。
冗談が行き過ぎて言葉で傷付け泣かしてしまったことがある。
どんなに謝っても、彼は口をきいてくれなかった。
時間が経って関係が回復したような時がきたけど、塞ぎようのない溝を感じて怖くなった。
また悪ふざけで善くない事をやっていた仲間と、ある日を境に付き合うのを辞めたこともある。
彼にしてみれば青天の霹靂だったことだろう。彼もまた傷つき、溝を挟んでしまったのだ。
ああ、こうして考えると、俺は、結構悪い奴だな。
色々恨まれても仕方ないのか・・・。
でも、あいつには何もしていない(はずだ)。
なのに、何の前触れもなく、こんな年賀状をよこした。

インパクトありすぎだろ。
表面は普通のお年玉付き年賀はがきだったと思う。
まあ、見事に元旦からいやーな気分にさせられました。
そいつとは日頃から特に交流はなく、好きでも嫌いでもなかったのですが、こんなもの送られては嫌いになります。
事の真意を確かめないまま1年が経って、またまた彼から年賀状が届きました。

これ、ネタじゃないですよ。
ものすごい禍々しい、まるで悪霊と対峙したかのような恐ろしい気分。
まあ、およそ普通の神経の人間のすることではないと思います。
それでも、これで私の心は傷ついた。
物凄く、傷ついた。
何か身に覚えがあって、その仕返しみたいなものだったらまだ喧嘩でもできるんだけど、日ごろ何の付き合いもない接点の乏しい奴からの書面での殺意。しかも年賀状ですから家族も見るわけで、その上での公然の殺意。
これはいったい何なのか?
冗談では済まされない。
47歳の今でも、思い出して脂汗をかく。
彼の家は湯の本町、彼自身は今はいないのだったかな?
まあ、いてもいなくてもどうでもいいんですけどね。
過ぎ去った過去は忘れそうになるけど、なかったことにはできない。
毎日の積み重ねの中で、汚点といえる失敗は今も絶えることがない。
生きると言うのは、難しく、苦しいものなのですね。
この記事を読んだら、気分が悪くなった、という人がいるかもしれません。
そんなときは箕輪先生のモノマネをして「がいるがおるがある」を10回言ってください。
by matta_no_komeya
| 2014-06-11 00:40
| 自分ごと
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