2015年 02月 28日
高額納税者
写真をご覧ください。
とある場所の喫煙コーナーでございます。
外との仕切りもなく、冷暖房もなく、椅子の代わりに金属パイプにウレタンを巻いた簡素な腰掛けがあるだけ。
これ、誤解を恐れず言ってしまいますが、惨めな場所ですよ。
今やタバコは決まった場所でしか吸えないのが当たり前になっています。
特に公共の施設や交通機関などは傾向が顕著で、飲食店も店内を喫煙者と非喫煙者で分けているのが主流です。
個人経営の飲食店や酒場では今も自由に吸えるところが多いですが、それにしても喫煙者は肩身が狭い世の中です。
タバコの価格はほとんどが税金でして、喫煙者はせっせと国に貢いでいることになります。
自分と家族の健康を犠牲にして納税に励む喫煙者。
命を削って、家を汚して、焼け焦げを作って、車を臭くして、火事のリスクを背負って、それら全てが自己責任で誰のせいにもできない。
これこそ『自由』の姿ではあるまいか。
自由とは天下御免の好き放題に生きることと勘違いしている愚か者が増えているようだけど、自分の行い全てに責任を負う覚悟がなければ、それは自由ではなく、甘えであり迷惑であり子供の駄々と何ら変わらない。
常々この自由に生きる事の難しさを考えていましたが、ふと気が付いたのです。
喫煙者の生き様こそ自由のお手本ではないかと。
沢山のお金をつぎ込んで、様々なリスクを背負って、ニコチンとタールをせっせと摂取し続ける。
人一倍国に貢いでいるにも関わらず、厄介者扱いで、惨めな場所に追いやられている。
それでも、文句も言わず、またタバコに火をつける。
それが自分のスタイルだから。
それが自分の生き方だから。
それが自分の哲学だから。
嗚呼、なんという自由!
まぁ、言い分は色々あるでしょうけど、結局はニコチン中毒なんでけどね。
まんまと罠にかかって抜け出せなくなっている。
可哀想に。
でも、それは自由なのだ。
だから吸えばいい。
買えばいい。
貢ぎ続ければいい。
喫煙本数に応じて、国から感謝状出せばいいのに。
感謝状
○○○○殿
あなたは長年に渡り喫煙を続け、遂に十万本を達成されました。
貴殿は、所得税・住民税・消費税・重量税等二重三重に徴収される税金では飽き足らず、更なる納税を志願し、自らの健康を犠牲にしてまで実行し続けられました。
その自己犠牲と愛国の精神は賞賛に価します。
平成27年2月28日
財務大臣○○○○
副賞としてタバコがもっと欲しくなる喫煙アメ『ニコニコチンチン』一年分が贈られます。
的な〜
嗚呼、自由だな〜
by matta_no_komeya
| 2015-02-28 22:51
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