2015年 01月 30日
今日はいろいろ
今日は1月30日。
正爺さんの祥月命日でございます。
国立山中病院で命を終えたあの日、二十歳そこそこだった私は、異様な緊張感に包まれておりました。
長年一緒に過ごしてきた家族が、老い、弱り、ボケて、死んでいく。
その一連の中で、ひどく印象に残っていることがあります。
爺さんは糖尿病と心臓病とがあったらしく、食事制限がかかっていました。
見るからに美味しくなさそうな病院食をつまらなさそうに食べている姿が可哀想だと思いました。
そして何も考えずに
「そんなむせー顔しとらんと、好きなもん食べりゃいいがいや。何でも持ってくるぞ?」
と言いました。
すると爺さんはちょっと怒ったように
「早よ死ねってか」
と言いました。
ショックでした。
そんなつもりはありませんでした。
齢80を過ぎてもなお、唯一の楽しみだった食べることを我慢をしてでも生き長らえようと思っていることがわかり、それが妙に不思議で哀れに映ったのです。
私は母から産まれた時、仮死状態だったそうです。
幼少から不思議体験を繰り返していたためか、生きることと死ぬことは同じ線上にあることを無意識に受け入れていたのかもしれません。
死への恐怖はもちろんありました。
火葬されるのが嫌で嫌で母親に
「僕が死んでも燃やさないで」
と毎日のように懇願していた時もあります。
お陰様で今では整理がついて、それで心悩ますことはありません。
食べたい物を我慢して数ヶ月生きて、そして爺さんは死にました。
霊安室からワゴン車の後席で抱きかかえるようにして自宅に連れ帰りました。
その硬さと冷たさは強烈に覚えています。
なにせ二十歳そこそこの世間知らずですから、びっくりの連続です。
今のような葬儀屋さんがなくて、親父の預金講連れの皆様が寿経寺にてビシバシと葬儀を取り仕切ってくださいました。
その凄さが山中預金講の真骨頂だったと思います。
これも今や過去のものですね。
私は大聖寺の近くまでドライアイスを買いに行きました。
人間は死ぬと冷たくなる。そしてカチンコチンに硬くなる。
それを肌で学んだ1月30日。
いろいろな意をこめて、仏壇に灯明を灯し線香を供え、お念仏と仏説阿弥陀経一巻。
そんな朝でした。
さて、今日は妻の誕生日でもあるのです。
毎日遅くまで頑張ってくれている妻。
ワテの誕生日には生のサツマイモをくれたので、感謝の意をこめてスポンジケーキを焼いています。
しかし、時間がないのでデコレーションできないような…
あはは(^^;)
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あさかわ
at 2015-02-01 16:30
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>今のような葬儀屋さんがなくて、親父の預金講連れの皆様が寿経寺にてビシバシと葬儀を取り仕切ってくださいました。
その凄さが山中預金講の真骨頂だったと思います。
これも今や過去のものですね。
わーすごいですね。
そういう体験をされた最後の世代では。私の祖父(1998年)の時もまだ預金講葬儀の時代でしたが、亡くなったのが大聖寺だったので、大聖寺の葬儀屋が家まで運びました。
ネガティブな記憶ですが、その祖父の葬儀を仕切った方が、その6,7年ぐらいあとかな、亡くなりました。その時はセレモニーホールでした。その方は生涯独身だったので喪主は加賀市に住む弟さんでしたが、そのせいなのかな、近所の方以外の山中の方、預金講連れが全然来なかったんですよ…。その方元気な時は顔の広い方でしたし、亡くなった年齢も70前後だったんですが。実は嫌われてたということなのかな、とも思ったが、近所の人たちの対応はそうでもなかったし(実際、近所の人たちは山中のお寺でやろう!と言っていたが、喪主の「お寺は寒くて私の体力が持たないからホールで」という意見でそれは実現しなかった)。いずれにせよ悲しかったのと同時に山中預金講の衰退を感じました。(弟さんも小中は山中の人だったんですけどね)
その凄さが山中預金講の真骨頂だったと思います。
これも今や過去のものですね。
わーすごいですね。
そういう体験をされた最後の世代では。私の祖父(1998年)の時もまだ預金講葬儀の時代でしたが、亡くなったのが大聖寺だったので、大聖寺の葬儀屋が家まで運びました。
ネガティブな記憶ですが、その祖父の葬儀を仕切った方が、その6,7年ぐらいあとかな、亡くなりました。その時はセレモニーホールでした。その方は生涯独身だったので喪主は加賀市に住む弟さんでしたが、そのせいなのかな、近所の方以外の山中の方、預金講連れが全然来なかったんですよ…。その方元気な時は顔の広い方でしたし、亡くなった年齢も70前後だったんですが。実は嫌われてたということなのかな、とも思ったが、近所の人たちの対応はそうでもなかったし(実際、近所の人たちは山中のお寺でやろう!と言っていたが、喪主の「お寺は寒くて私の体力が持たないからホールで」という意見でそれは実現しなかった)。いずれにせよ悲しかったのと同時に山中預金講の衰退を感じました。(弟さんも小中は山中の人だったんですけどね)
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matta_no_komeya at 2015-02-02 14:47
あさかわさま>
あさかわさまも預金講葬儀を知る人なのですね。
その独身の方の寂しかった葬儀ですが、山中に情報がうまく伝わってなかった可能性があるかもしれません。
今でもそうなのですが、総湯にお悔やみ情報が貼られて初めて知ると言うパターンが多く、当時は山中以外のおくやみは喪主が山中在住でもないかぎり貼られることはなかったはずです。
おそらく遅れて香典を持って走った人が沢山おられたのではないでしょうか。
また70代とのことですので、はやり子供の代が仕切りの中心になっている年齢ですので、独身&子なしだと寂しくなりがちなのは否めないと思います。
何はともあれ、セレモニーホール全盛の今、かつての預金講の結束が薄くなったのかもしれません。
勿論身内の葬儀となれば集まりますが、手伝う内容が受付と香典の管理とパソコンの打ち込み程度で、支払は身内の方に任せるようになってしまいましたし、良くも悪くも手軽になりすぎてしまいました。
人の死は避けて通れませんから、こういうことは今後も続いていくのでしょう。
生きている間に死の準備さえできていれば葬儀などそれほど重要でないのですが、その考えはまだ一般的じゃありませんし、その考えに至れる人はあまりいないようです。
あさかわさまも預金講葬儀を知る人なのですね。
その独身の方の寂しかった葬儀ですが、山中に情報がうまく伝わってなかった可能性があるかもしれません。
今でもそうなのですが、総湯にお悔やみ情報が貼られて初めて知ると言うパターンが多く、当時は山中以外のおくやみは喪主が山中在住でもないかぎり貼られることはなかったはずです。
おそらく遅れて香典を持って走った人が沢山おられたのではないでしょうか。
また70代とのことですので、はやり子供の代が仕切りの中心になっている年齢ですので、独身&子なしだと寂しくなりがちなのは否めないと思います。
何はともあれ、セレモニーホール全盛の今、かつての預金講の結束が薄くなったのかもしれません。
勿論身内の葬儀となれば集まりますが、手伝う内容が受付と香典の管理とパソコンの打ち込み程度で、支払は身内の方に任せるようになってしまいましたし、良くも悪くも手軽になりすぎてしまいました。
人の死は避けて通れませんから、こういうことは今後も続いていくのでしょう。
生きている間に死の準備さえできていれば葬儀などそれほど重要でないのですが、その考えはまだ一般的じゃありませんし、その考えに至れる人はあまりいないようです。
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あさかわ
at 2015-02-02 21:26
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>生きている間に死の準備さえできていれば葬儀などそれほど重要でないのですが、その考えはまだ一般的じゃありませんし、その考えに至れる人はあまりいないようです。
そうなんですよね…。実は最近、近い親族を亡くしたのですが、亡くなった本人の意思とは裏腹にセレモニーホールの「葬祭デレクター」に押し切られるような形で結構大きいものの無味乾燥な葬式になってしまいました。喪主(白山市在住)は落ち着いてからちょっとあれでよかったかなあ、と悩んでるようです。近所の方で親しい方が数名健在だったのでお寺か自宅でこじんまりでもいいからやりたかったなあ、と。
そうなんですよね…。実は最近、近い親族を亡くしたのですが、亡くなった本人の意思とは裏腹にセレモニーホールの「葬祭デレクター」に押し切られるような形で結構大きいものの無味乾燥な葬式になってしまいました。喪主(白山市在住)は落ち着いてからちょっとあれでよかったかなあ、と悩んでるようです。近所の方で親しい方が数名健在だったのでお寺か自宅でこじんまりでもいいからやりたかったなあ、と。
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matta_no_komeya at 2015-02-04 06:49
あさかわさま>
葬祭デレクターに押し切られての件は、心中お察しいたします。
昨年末に義母の会葬を仕切ったのですが、担当のお兄ちゃんがうんざりするぐらい好き勝手にやらせてもらいました。
他県で風習が違ったのでいろいろ面喰いましたが、義母と生前よく話していたことを実現させるべく、女房と息子の協力を得ながら暖かい家族葬にできました。
理想的ではないにしても、やるべきことの漏れがなかったので、後悔が一つもないのです。
葬儀での後悔は結婚式での後悔より重いような気がします。
死をどんなに忌み嫌っていても絶対に避けられないのですから、もっと建設的にそれに向かい合うことをより多くの方が取り組むべきなのだと思います。
葬祭デレクターに押し切られての件は、心中お察しいたします。
昨年末に義母の会葬を仕切ったのですが、担当のお兄ちゃんがうんざりするぐらい好き勝手にやらせてもらいました。
他県で風習が違ったのでいろいろ面喰いましたが、義母と生前よく話していたことを実現させるべく、女房と息子の協力を得ながら暖かい家族葬にできました。
理想的ではないにしても、やるべきことの漏れがなかったので、後悔が一つもないのです。
葬儀での後悔は結婚式での後悔より重いような気がします。
死をどんなに忌み嫌っていても絶対に避けられないのですから、もっと建設的にそれに向かい合うことをより多くの方が取り組むべきなのだと思います。
by matta_no_komeya
| 2015-01-30 13:01
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